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 菜の花畑事件簿〔前編〕 

 

 羅平 ―― 初めてこの地名を耳にしたのは、2002年の夏、中国・雲南省の元陽に旅行した時だった。ある食堂のオーナーが、写真家の友人の物だと言って、一冊の写真集を私に見せてきた。そこには、雲南省の美しい風景が収められており、その中でも最も印象的だったのが、金色に輝く菜の花畑が一面に広がる、羅平という地だった。オーナーに、「これはいつ行けば見られるの?」と尋ねると、「年によるが、だいたい2〜3月だ。」と言うので、いつか必ずまた雲南に戻ってくるぞ、とその時確信した。そしてそれが実現したのが、2005年の2月。私は仕事の休みをとって、元陽と羅平に行くことに決めた。

 まずは、元陽に行った後、一旦昆明に戻って、次の日、羅平に向けて出発。昆明から羅平までは、列車で約5時間。車窓から、街の向こうにから広がる金色の菜の花畑を見つけた時は、胸が高鳴った。駅からは公共バスに乗り換えて、羅平の街に着いた。菜の花畑があるのは、街からバスで20分程離れた所にある金鶏という村で、羅平の街中には、これといった見所は無く、埃っぽい田舎の小都市といった感じだ。大きな観光地でもない為、宿も清潔な所が見つからず、歩き疲れた末、あきらめてそこら辺の宿にチェックイン。今にもゴキブリが出てきそうだし、洗面所の床は水浸しだし、夜中に外からうるさい音楽が聞こえてくるし、宿のオヤジは勝手に部屋に入ってくるし、もう明日菜の花畑だけ見たら、さっさと昆明に帰ろうと思った。当初は2泊する予定だったが、翌日の朝、荷物をまとめてこっそりチェックアウト。バス停留所に荷物を預けて、そのまま金鶏へ向かった。金鶏に着くと、中国人カメラマンのツアー客がわんさかいた。私は写真を撮ることに特別な関心は無く、カメラもごく一般的な物しか持っていないのだが、逆光で写真を撮るのがなんとなく嫌で、午前よりも午後のほうが写真写りが良いかなと思い、まだたっぷり時間があるので、そこから更に北にある、九龍瀑布へ行くことにした。また帰りに金鶏に寄ろう。そう思ったのが不幸の始まりだった。

 九龍瀑布からの帰り、金鶏に着いたのが、午後1:30頃。私は近くのお寺や丘に登って風景を眺めながら、一人のん気に散歩を楽しんでいた。午前中はあんなにたくさんカメラマンがいたのに、午後は地元の蜂蜜売り以外にはほとんど人影が見当たらなかった。近くの小高い丘の上に登ると、そこで子供達が遊んでいたので、日本から持ってきた使わなくなったメモ帳やシールをあげると、珍しがって喜んでいた。少し離れた所に、サングラスをかけた若い男が一人、何をするでもなくぼんやりとたたずんでいた。地元の人間っぽいし、何をしてるんだろう?何枚か写真を撮った後、子供達に「再見!」と挨拶をして、今日中に昆明に帰ろうと、私は丘を下りた。畑のあぜ道を歩いていて、羅平の菜の花は、日本の物よりもずっと背丈が高く、身長165cmの私の目線あたりまであることに気が付いた。50mくらい先に大通りが見えた時、私のすぐ後方から誰かが走ってくる足音が聞こえた。何か急ぎの用事かな?そう思った警戒心ゼロの私は、あぜ道の左端へ避けようとした。その瞬間、その人物が突然私の背後から飛び掛ってきて、私は菜の花畑の中へと押し倒された。さっきのグラサンの男だっ!!「グォ〜〜〜!!」一瞬何が起こったのか分からず頭が真っ白になったが、その直後、私の口からは自分でも恐ろしくなる程低い轟きのような声が出た。高校生の時、夜道で痴漢に遭った時以来聞く声だ。こういった緊急事態の時に、本当に「キャ〜〜!」なんて甲高い声が出るものではない。私はとりあえず体勢を立て直す為、起き上がろうとしたが、男は力強く私の両肩を地面に押さえ付け、はなそうとしなかった。しかもいつの間にか私の頭上側に回りこんで、私を押さえ付けている。これではアソコを蹴ることもできない。合気道の押さえ技でも、このシチュエーションは練習したことがない。師範ならどうするんだろう?*△%#☆§…?あれこれ考えいたのも束の間、「ブチッ!」と鈍い音がしたと思った瞬間、男は猛スピードで走り去った。ポーチだ!金だ!!あの中には日本へ帰るチケットも入っている!!!そう気が付いてすぐに、私は奴を追いかけた。「待てー!返せー!誰かー!」と叫びながら後を追ったが、足場の悪い菜の花畑の中をスイスイと走り去っていく地元の若者の足に、私が追いつくはずもなかった。「ヒャッホ〜〜!」と遠くで喜びの声を上げる奴の笑顔が、この世の物とは思えない程憎らしかった。

 所持金ゼロ。これでは昆明に帰るどころか、羅平行きのバスにも乗れない。とりあえず大通りまで出て、村人に事情を話した。その中の1人のおじさんが、警察に連絡してくれて、しばらくするとさっき丘の上で遊んでいた子供達も下りて来て、中国語の拙い私に代わって犯人の特徴等を説明してくれた。待つこと40分、やっと羅平の町からパトカーが到着した。中から3人の警官が出てきて、すぐに別のパトカー数台も到着し、総勢15〜16名の警官が捜査に当たった。「パスポートを見せて下さい。」「……?」そう言われて、私は初めて事態の大きさに気が付いた。パスポートもあの中だ…。現地で2時間程事情聴取を受けた後、パトカーに乗って羅平の町まで戻り、バス停留所に預けてあったバックパックを拾ってから、警察署で更に2時間の事情聴取が続いた。ろくに中国語も話せない私を相手に、ジェスチャーや筆談を交えながら事件の状況を聞きだすのには、大変な労力がいったと思うが、警官達は最後まで親切に対応してくれた。夜の8:00がまわって、警官達は「飯にするか。」と言って再びパトカーに乗り込み、私も一緒に近くの鍋料理レストランに連れて行ってくれた。鍋の中身は、鶏の体のあらゆる部分と、椎茸、じゃがいも、豆腐など具沢山で、辛目の味付けだったが、かなり美味しかった。「日本語で俺の名前は何て読むんだ?」とか、「給料はいくらもらってる?」とか、いろんな事を聞かれたが、皆日本人の私にすごく好意的で、「私達が全力を尽くして、犯人を逮捕します。」(もちろんこちらも期待をしているわけではないが)と言われた時には、私の今までの中国警察に対するイメージが一変した。そのうちに、警官達は夜白酒を飲み始め、私にもお猪口を渡し、6〜7名が代わる代わる私の席にやって来て、乾杯を交わした。おかげで私はすっかり酒が回って眠たくなり、夜10:30になってやっと解散となった。「今夜は警察の宿舎に泊まればいい。」そう言ってまた全員でパトカーに乗り込み、宿舎まで送ってくれた。この時私は最高に眠たかったが、気になった事が一つ。さっきお酒を飲んでいた警官が運転していた。しかもパトカー…。女性警官の一人が、一人では不安だろうと、同じ部屋に泊まってくれた。非常に心強く、ありがたかった。宿舎は、羅平で宿を探していた時に見たどの宿よりも清潔だった。翌日の朝、昨日の警官のうちの4人が、私達2人を迎えに来て、「羊肉は食べられるか?」と言って連れて行ってくれたのは、羊肉米線のお店だった。これも美味かった。それからバス停留所まで送ってもらい、警官達と別れた。
 
 
        
            見渡す限り広がる菜の花畑                         お世話になった雲南警察の方々

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